In this video, I’ll delve into the story of a significant figure in Japanese history, ‘John Manjiro.’ Stay tuned to discover his fascinating tale!
This episode is at the JLPT-N4 level.
Please use this audio for listening and shadowing practices.
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Words
ジョン万次郎(John Manjiro)
About him
つなぐ:connect
仲間:comrades
大声:loud voice
捕まえる:capture
鎖国:closed country
About Sakoku
自由に:freely
船長:captain
真面目:honest, hard worker
喜ぶ:be glad
ハワイ:Hawaii
フェアヘブン:Fairhaven
数学:mathematics
汽車:railway train
進む:advance
農民:farmer
カリフォルニア:California
貯める:save
坂本龍馬:
About him
政府:government
技術:technology
Conjugation of verbs
ます形《masu-form》
た形《ta-form》
て形《te-form》
ない形《nai-form》
じしょ形《dictionary-form》
かのう形《Potential form》
うけみ形《Passive form》
Script without furigana
If you would like to see the phonetic guide display, please click here.
こんにちは、Megです。
今日は日本の昔の有名な人の物語です。
「ジョン万次郎」さんです。
彼は、日本とアメリカをつないだ人でした。
どんな人だったのでしょうか?
1827年、万次郎は高知で生まれました。
10歳のとき、お父さんが亡くなりました。万次郎はまだ子どもでしたが、家族のために働きました。
万次郎が15歳のとき、仲間と一緒に船で遠い海へ釣りに行きました。
そのとき、とても強い風が吹いて、万次郎たちの船は壊れてしまいました。
季節は、1月の寒いときでした。
風は氷のように冷たくて、食べ物もありませんでした。
万次郎たちは、思いました。
「だめだ・・・もう、だめだ。私たちは助からない。」
万次郎たちは、何日間も壊れた船で海の上にいました。そのときです。
「あっ!島だ!」
誰かが大声で言いました。
その島にはだれも住んでいませんでした。
でも、たくさん鳥がいたので、万次郎たちは鳥を捕まえて、食べることができました。
万次郎たちは、その島で143日も住んでいました。
ある日、万次郎はこの島に近づいてくるボートを見つけました。
「お~い!助けて!!」
万次郎は大声で言いました。
万次郎たちはボートに乗っている人を見ました。
そこには、茶色の髪の毛の人が乗っていました。
このとき、万次郎たちは初めて外国人を見ました。
万次郎たちを見つけてくれたのは、アメリカの船でした。
万次郎たちは思いました。
「日本に帰ることができる!!よかった。」
しかし、このとき日本は鎖国をしていました。
鎖国とは、外国と友だちにはならないという意味です。ですから、外国の船が自由に日本へ行くことができませんでした。
もちろん、日本人が自由に外国へ行くこともできませんでした。
船の中で、万次郎はがんばって英語を勉強しました。
船長は、そんな万次郎を見て、とても真面目でいい人だと思いました。
そして、万次郎に船の仕事を手伝ってもらいました。
ある日、船長は万次郎に言いました。
「万次郎、アメリカの学校で英語を勉強したらどう?」
万次郎は「はい、お願いします」と言って、とても喜びました。
ハワイで、万次郎は、仲間たちと別れました。そして、船長と一緒にアメリカのフェアヘブンという町に行きました。
このとき、万次郎のことを船長たちは、「ジョン・マン」と呼びました。
「ジョン」は、船の名前「ジョン・ハウランド」からもらいました。「マン」は、「万次郎」の「まん」です。
船長は、万次郎を自分の家族のように大切にしました。
そのとき17歳だった万次郎は、小学校で英語の勉強をしました。
そして、英語だけではなくて、数学や船の勉強もしました。
万次郎のアメリカの生活は、たくさんびっくりすることがありました。
新しい船や汽車など、アメリカは日本よりとても進んでいました。
万次郎がいちばんびっくりしたことは、がんばったら、自分がやりたい仕事ができることでした。
そのときの日本では、「侍に生まれたら、ずっと侍。農民に生まれたら、ずっと農民。」という社会のルールがありました。
万次郎は思いました。
「アメリカはすごい!アメリカのいいところを日本人に教えたい!」
万次郎は、日本に帰りたいと思うようになりました。
「日本に帰るには、お金がいる・・・。」
万次郎は、カリフォルニアに行きました。
そしてがんばって仕事をして、お金を貯めて、日本に帰りました。
1851年、万次郎が乗った船は沖縄に着きました。そして、しばらくして高知に帰ることができました。
高知に帰ると、アメリカがどんな国だったか、いろいろな人たちに話しました。
その中の一人に有名な侍がいました。「坂本龍馬」という人です。
坂本龍馬は、万次郎の話を聞いて、「新しい日本を作る!」という大きな夢を持って、がんばりました。
1853年、神奈川の海に大きなアメリカの船が来ました。
それまで、日本人が見たことがないとても大きな船でした。
日本の政府の中で、英語が話せる人がいなかったので、万次郎は日本の政府から呼ばれました。
それから、万次郎は、英語の本を書いたり、船の技術を教えたりしました。
そして、東京大学で英語の先生になりました。
ジョン万次郎は、日本とアメリカをつないだとてもすごい人でした。
ありがとうございました。
今日は、「ジョン万次郎」さんの物語を話しました。
では、また!
Script with furigana
click here こんにちは、Megです。 どんな人だったのでしょうか? 1827年、万次郎は高知で生まれました。 万次郎が15歳のとき、仲間と一緒に船で遠い海へ釣りに行きました。 季節は、1月の寒いときでした。 万次郎たちは、何日間も壊れた船で海の上にいました。そのときです。 その島にはだれも住んでいませんでした。 ある日、万次郎はこの島に近づいてくるボートを見つけました。 万次郎たちはボートに乗っている人を見ました。 万次郎たちを見つけてくれたのは、アメリカの船でした。 しかし、このとき日本は鎖国をしていました。 船の中で、万次郎はがんばって英語を勉強しました。 ある日、船長は万次郎に言いました。 万次郎は「はい、お願いします」と言って、とても喜びました。 ハワイで、万次郎は、仲間たちと別れました。そして、船長と一緒にアメリカのフェアヘブンという町に行きました。 このとき、万次郎のことを船長たちは、「ジョン・マン」と呼びました。 船長は、万次郎を自分の家族のように大切にしました。 万次郎のアメリカの生活は、たくさんびっくりすることがありました。 万次郎がいちばんびっくりしたことは、がんばったら、自分がやりたい仕事ができることでした。 万次郎は思いました。 万次郎は、日本に帰りたいと思うようになりました。 万次郎は、カリフォルニアに行きました。 1851年、万次郎が乗った船は沖縄に着きました。そして、しばらくして高知に帰ることができました。 その中の一人に有名な侍がいました。「坂本龍馬」という人です。 1853年、神奈川の海に大きなアメリカの船が来ました。 それから、万次郎は、英語の本を書いたり、船の技術を教えたりしました。 ジョン万次郎は、日本とアメリカをつないだとてもすごい人でした。 ありがとうございました。
今日は日本の昔の有名な人の物語です。
「ジョン万次郎」さんです。
彼は、日本とアメリカをつないだ人でした。
10歳のとき、お父さんが亡くなりました。万次郎はまだ子どもでしたが、家族のために働きました。
そのとき、とても強い風が吹いて、万次郎たちの船は壊れてしまいました。
風は氷のように冷たくて、食べ物もありませんでした。
万次郎たちは、思いました。
「だめだ・・・もう、だめだ。私たちは助からない。」
「あっ!島だ!」
誰かが大声で言いました。
でも、たくさん鳥がいたので、万次郎たちは鳥を捕まえて、食べることができました。
万次郎たちは、その島で143日も住んでいました。
「お~い!助けて!!」
万次郎は大声で言いました。
そこには、茶色の髪の毛の人が乗っていました。
このとき、万次郎たちは初めて外国人を見ました。
万次郎たちは思いました。
「日本に帰ることができる!!よかった。」
鎖国とは、外国と友だちにはならないという意味です。ですから、外国の船が自由に日本へ行くことができませんでした。
もちろん、日本人が自由に外国へ行くこともできませんでした。
船長は、そんな万次郎を見て、とても真面目でいい人だと思いました。
そして、万次郎に船の仕事を手伝ってもらいました。
「万次郎、アメリカの学校で英語を勉強したらどう?」
「ジョン」は、船の名前「ジョン・ハウランド」からもらいました。「マン」は、「万次郎」の「まん」です。
そのとき17歳だった万次郎は、小学校で英語の勉強をしました。
そして、英語だけではなくて、数学や船の勉強もしました。
新しい船や汽車など、アメリカは日本よりとても進んでいました。
そのときの日本では、「侍に生まれたら、ずっと侍。農民に生まれたら、ずっと農民。」という社会のルールがありました。
「アメリカはすごい!アメリカのいいところを日本人に教えたい!」
「日本に帰るには、お金がいる・・・。」
そしてがんばって仕事をして、お金を貯めて、日本に帰りました。
高知に帰ると、アメリカがどんな国だったか、いろいろな人たちに話しました。
坂本龍馬は、万次郎の話を聞いて、「新しい日本を作る!」という大きな夢を持って、がんばりました。
それまで、日本人が見たことがないとても大きな船でした。
日本の政府の中で、英語が話せる人がいなかったので、万次郎は日本の政府から呼ばれました。
そして、東京大学で英語の先生になりました。
今日は、「ジョン万次郎」さんの物語を話しました。
では、また!
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