#57 History / ジョン万次郎《John Manjiro》/ storytelling // N4/ Japanese listening

In this video, I’ll delve into the story of a significant figure in Japanese history, ‘John Manjiro.’ Stay tuned to discover his fascinating tale!
This episode is at the JLPT-N4 level.

Please use this audio for listening and shadowing practices.

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Words

ジョン万次郎まんじろう(John Manjiro)
About him

John Manjiro was a key figure in Japan’s history, renowned for his journey and role in opening Japan to the West. Shipwrecked at 15, he was rescued by Americans and learned Western ways. His knowledge became pivotal in Japan’s modernization, aiding diplomatic relations and technology exchange between Japan and the West.
物語ものがたり:story
つなぐ:connect
仲間なかま:comrades
大声おおごえ:loud voice
つかまえる:capture

鎖国さこく:closed country
About Sakoku

During the Edo period in Japan, the country adopted a policy of isolation known as “sakoku.” This policy aimed to restrict foreign influence and trade by severely limiting contact with other countries. Under sakoku, only a few designated ports were open for limited trade with select foreign nations, while travel abroad and foreign ideas were strictly regulated. Sakoku lasted for over two centuries until Japan began to open its doors to the world in the mid-19th century.

自由じゆうに:freely
船長せんちょう:captain
真面目まじめ:honest, hard worker
よろこぶ:be glad
ハワイhawai:Hawaii
フェアヘブンfeahebun:Fairhaven
数学すうがく:mathematics
汽車きしゃ:railway train
すすむ:advance
農民のうみん:farmer
カリフォルニア:California
める:save

坂本さかもと龍馬りょうま
About him

Sakamoto Ryoma was an influential figure in Japan’s Bakumatsu era, pivotal in efforts to end the Tokugawa shogunate and initiate the Meiji Restoration. He advocated for modernization and political reform, leaving a lasting impact on Japan’s history before his assassination in 1867.

政府せいふ:government
技術ぎじゅつ:technology

Conjugation of verbs

ますけい《masu-form》
けい《ta-form》
けい《te-form》
ないけい《nai-form》
じしょけい《dictionary-form》
かのうけい《Potential form》
うけみけい《Passive form》

Script without furigana

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こんにちは、Megです。
今日は日本の昔の有名な人の物語です。
「ジョン万次郎」さんです。
彼は、日本とアメリカをつないだ人でした。

どんな人だったのでしょうか?

1827年、万次郎は高知で生まれました。
10歳のとき、お父さんが亡くなりました。万次郎はまだ子どもでしたが、家族のために働きました。

万次郎が15歳のとき、仲間と一緒に船で遠い海へ釣りに行きました。
そのとき、とても強い風が吹いて、万次郎たちの船は壊れてしまいました。

季節は、1月の寒いときでした。
風は氷のように冷たくて、食べ物もありませんでした。
万次郎たちは、思いました。
「だめだ・・・もう、だめだ。私たちは助からない。」

万次郎たちは、何日間も壊れた船で海の上にいました。そのときです。
「あっ!島だ!」
誰かが大声で言いました。

その島にはだれも住んでいませんでした。
でも、たくさん鳥がいたので、万次郎たちは鳥を捕まえて、食べることができました。
万次郎たちは、その島で143日も住んでいました。

ある日、万次郎はこの島に近づいてくるボートを見つけました。
「お~い!助けて!!」
万次郎は大声で言いました。

万次郎たちはボートに乗っている人を見ました。
そこには、茶色の髪の毛の人が乗っていました。
このとき、万次郎たちは初めて外国人を見ました。

万次郎たちを見つけてくれたのは、アメリカの船でした。
万次郎たちは思いました。
「日本に帰ることができる!!よかった。」

しかし、このとき日本は鎖国をしていました。
鎖国とは、外国と友だちにはならないという意味です。ですから、外国の船が自由に日本へ行くことができませんでした。
もちろん、日本人が自由に外国へ行くこともできませんでした。

船の中で、万次郎はがんばって英語を勉強しました。
船長は、そんな万次郎を見て、とても真面目でいい人だと思いました。
そして、万次郎に船の仕事を手伝ってもらいました。

ある日、船長は万次郎に言いました。
「万次郎、アメリカの学校で英語を勉強したらどう?」

万次郎は「はい、お願いします」と言って、とても喜びました。

ハワイで、万次郎は、仲間たちと別れました。そして、船長と一緒にアメリカのフェアヘブンという町に行きました。

このとき、万次郎のことを船長たちは、「ジョン・マン」と呼びました。
「ジョン」は、船の名前「ジョン・ハウランド」からもらいました。「マン」は、「万次郎」の「まん」です。

船長は、万次郎を自分の家族のように大切にしました。
そのとき17歳だった万次郎は、小学校で英語の勉強をしました。
そして、英語だけではなくて、数学や船の勉強もしました。

万次郎のアメリカの生活は、たくさんびっくりすることがありました。
新しい船や汽車など、アメリカは日本よりとても進んでいました。

万次郎がいちばんびっくりしたことは、がんばったら、自分がやりたい仕事ができることでした。
そのときの日本では、「侍に生まれたら、ずっと侍。農民に生まれたら、ずっと農民。」という社会のルールがありました。

万次郎は思いました。
「アメリカはすごい!アメリカのいいところを日本人に教えたい!」

万次郎は、日本に帰りたいと思うようになりました。
「日本に帰るには、お金がいる・・・。」

万次郎は、カリフォルニアに行きました。
そしてがんばって仕事をして、お金を貯めて、日本に帰りました。

1851年、万次郎が乗った船は沖縄に着きました。そして、しばらくして高知に帰ることができました。
高知に帰ると、アメリカがどんな国だったか、いろいろな人たちに話しました。

その中の一人に有名な侍がいました。「坂本龍馬」という人です。
坂本龍馬は、万次郎の話を聞いて、「新しい日本を作る!」という大きな夢を持って、がんばりました。

1853年、神奈川の海に大きなアメリカの船が来ました。
それまで、日本人が見たことがないとても大きな船でした。
日本の政府の中で、英語が話せる人がいなかったので、万次郎は日本の政府から呼ばれました。

それから、万次郎は、英語の本を書いたり、船の技術を教えたりしました。
そして、東京大学で英語の先生になりました。

ジョン万次郎は、日本とアメリカをつないだとてもすごい人でした。

ありがとうございました。
今日は、「ジョン万次郎」さんの物語を話しました。
では、また!

Script with furigana

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こんにちは、Megです。
今日きょう日本にほんむかし有名ゆうめいひと物語ものがたりです。
「ジョン万次郎まんじろう」さんです。
かれは、日本にほんとアメリカをつないだひとでした。

どんなひとだったのでしょうか?

1827ねん万次郎まんじろう高知こうちまれました。
10さいのとき、おとうさんがくなりました。万次郎まんじろうはまだどもでしたが、家族かぞくのためにはたらきました。

万次郎まんじろうが15さいのとき、仲間なかま一緒いっしょふねとおうみりにきました。
そのとき、とてもつよかぜいて、万次郎まんじろうたちのふねこわれてしまいました。

季節きせつは、1がつさむいときでした。
かぜこおりのようにつめたくて、ものもありませんでした。
万次郎まんじろうたちは、おもいました。
「だめだ・・・もう、だめだ。わたしたちはたすからない。」

万次郎まんじろうたちは、何日間なんにちかんこわれたふねうみうえにいました。そのときです。
「あっ!しまだ!」
だれかが大声おおごえいました。

そのしまにはだれもんでいませんでした。
でも、たくさんとりがいたので、万次郎まんじろうたちはとりつかまえて、べることができました。
万次郎まんじろうたちは、そのしまで143にちんでいました。

ある万次郎まんじろうはこのしまちかづいてくるボートをつけました。
「お~い!たすけて!!」
万次郎まんじろう大声おおごえいました。

万次郎まんじろうたちはボートにっているひとました。
そこには、茶色ちゃいろかみひとっていました。
このとき、万次郎まんじろうたちははじめて外国人がいこくじんました。

万次郎まんじろうたちをつけてくれたのは、アメリカのふねでした。
万次郎まんじろうたちはおもいました。
日本にほんかえることができる!!よかった。」

しかし、このとき日本にほん鎖国さこくをしていました。
鎖国さこくとは、外国がいこくともだちにはならないという意味いみです。ですから、外国がいこくふね自由じゆう日本にほんくことができませんでした。
もちろん、日本にほんじん自由じゆう外国がいこくくこともできませんでした。

ふねなかで、万次郎まんじろうはがんばって英語えいご勉強べんきょうしました。
船長せんちょうは、そんな万次郎まんじろうて、とても真面目でいいひとだと思いました。
そして、万次郎まんじろうふねの仕事を手伝ってもらいました。

ある日、船長せんちょう万次郎まんじろういました。
万次郎まんじろう、アメリカの学校がっこう英語えいご勉強べんきょうしたらどう?」

万次郎まんじろうは「はい、おねがいします」とって、とてもよろこびました。

ハワイで、万次郎まんじろうは、仲間なかまたちとわかれました。そして、船長せんちょう一緒いっしょにアメリカのフェアヘブンというまちきました。

このとき、万次郎まんじろうのことを船長せんちょうたちは、「ジョン・マン」とびました。
「ジョン」は、ふね名前なまえ「ジョン・ハウランド」からもらいました。「マン」は、「万次郎まんじろう」の「まん」です。

船長せんちょうは、万次郎まんじろう自分じぶん家族かぞくのように大切たいせつにしました。
そのとき17さいだった万次郎まんじろうは、小学校しょうがっこう英語えいご勉強べんきょうをしました。
そして、英語えいごだけではなくて、数学すうがくふね勉強べんきょうもしました。

万次郎まんじろうのアメリカの生活せいかつは、たくさんびっくりすることがありました。
あたらしいふね汽車きしゃなど、アメリカは日本にほんよりとてもすすんでいました。

万次郎まんじろうがいちばんびっくりしたことは、がんばったら、自分じぶんがやりたい仕事しごとができることでした。
そのときの日本にほんでは、「さむらいまれたら、ずっとさむらい農民のうみんまれたら、ずっと農民のうみん。」という社会しゃかいのルールがありました。

万次郎まんじろうおもいました。
「アメリカはすごい!アメリカのいいところを日本にほんじんおしえたい!」

万次郎まんじろうは、日本にほんかえりたいとおもうようになりました。
日本にほんかえるには、おかねがいる・・・。」

万次郎まんじろうは、カリフォルニアにきました。
そしてがんばって仕事しごとをして、おかねめて、日本にほんかえりました。

1851ねん万次郎まんじろうったふね沖縄おきなわきました。そして、しばらくして高知こうちかえることができました。
高知こうちかえると、アメリカがどんなくにだったか、いろいろなひとたちにはなしました。

そのなか一人ひとり有名ゆうめいさむらいがいました。「坂本さかもと龍馬りょうま」というひとです。
坂本さかもと龍馬りょうまは、万次郎まんじろうはなしいて、「あたらしい日本にほんつくる!」というおおきなゆめって、がんばりました。

1853ねん神奈川かながわうみおおきなアメリカのふねました。
それまで、日本にほんじんたことがないとてもおおきなふねでした。
日本にほん政府せいふなかで、英語えいごはなせるひとがいなかったので、万次郎まんじろう日本にほん政府せいふからばれました。

それから、万次郎まんじろうは、英語えいごほんいたり、ふね技術ぎじゅつおしえたりしました。
そして、東京大学とうきょうだいがく英語えいご先生せんせいになりました。

ジョン万次郎まんじろうは、日本にほんとアメリカをつないだとてもすごい人でした。

ありがとうございました。
今日きょうは、「ジョン万次郎まんじろう」さんの物語ものがたりはなしました。
では、また!

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